2015年10月4日日曜日

わたしのこと

ラストネームが英語ですが、シングルマザーです
息子と同じラストネームでいたくて、離婚してもそのままにしました

国際結婚するとき、厳格な実家は大反対して、戸籍を抜くことになり
文字通り勘当されました
結婚後はあきらめて、とてもやさしくしてくれたけれど
戻る家はもうありませんでした

結婚してハワイで暮らし始め、オアフ島、ラナイ島、カウアイ島で暮らして10年
いろいろ仕事をしたけど
箱入り娘だったので、
何かと辛かったです

夫が失業して他に仕事の無いような島、ラナイ島にいたときは
お弁当なら売れると思ってローカルの人にまじって、朝市でお弁当を作って売りはじめましたが
一つ一つの体験が自分を強くしてくれたけれど
当時は一人ぼっちな気がして、悲しかったです
今は何でも笑える思い出だけどねえ

夫はとてもいい人だったけど、アルコール依存症だったので
カウアイ島にいたころ、限界を感じて
家財道具を売ったお金で飛行機のチケットを買って日本へ息子を連れて帰りました
その頃は結婚10年目で、子供は5歳になる前だった

日本にかえっても、やっぱり
厳しい実家は、わたしの出入りさえ恥ずかしいと思っていたので
別の場所に暮らすことにし
その頃のわたしの心はとてもすさんでいて
幸せな「サザエさん」を見るのも、辛かったです

兄が5万円もくれて
姉が数ヶ月もの間住まわせてくれて

ゼロからスタートしました
最初のお給料で買ったのは自転車
息子が病気したら、病院まで連れていけるように、欲しかったの

10年英語だけで生活していたので、日本での生活は浦島太郎みたいで
最初の数ヶ月はなじめませんでした
息子の学校の先生にまで、お母さん、こんなものは子供に持たせないでください
なんてよく怒られてました

実家の両親は息子に勉強机とランドセルを買ってくれて
友人が子供服のお古を送ってくれて
助けられての再スタートでした

ハワイでは家に冷蔵庫がついてる。
翌月分の家賃を入れておけば入れる

でも、日本では、冷蔵庫がついてないし
敷金、礼金が相当高い。
そんなことを知りもしなかった世間知らずのわたしは
お金がいるんだ、としみじみ感じました

ちょうど不景気の頃で
ブルーテントにいるホームレスを見ては
「明日はここにいるのはわたしかもしれない」と
いつもそう思ってた

仕事は、よりよい仕事につきたくて
電車に乗っている間も、お昼ご飯の時も、いつも勉強してた
友達はできなくてしかたない、嫌われてもしかたない、だって息子を育てなきゃって思ってたのだけど
まわりはとても好意的で
人付き合いが悪いのに、みんなよくしてくれて、助けてもらってばかりでした

お父さんのいる家庭と同じ暮らしを息子にさせてあげたかったから、仕事をもう一つしたかった
わたしのフルタイムの仕事の収入だけじゃ、ぎりぎりで貯金もできないし、旅行へ連れて行ってあげられない

夜家をあけるのは出来ないと思って
それでネットでお店をしはじめて、ものを仕入れて売る、ということをしていたのだけれど

睡眠時間を削って仕事をするから、もともとからだが弱いし、健康診断ではいつもひっかかって
病院へ行くと、過労と言われ
いつもしんどかったです

電車に乗らずに、毎日歩いて、乗ったつもり貯金とか、駐輪上代を払ったつもり貯金とか、
そんなことしていたから、よけい疲れてたのかもしれない

入院もさせられちゃって、その間子供、どうしようって悩んで
入院しているのに外出許可もらって家にかえったりして
結局は実家の母が見に来てくれて助けてもらいました

決めていたことがあって、毎年必ず旅行へ連れてって外の世界を息子に見せること
そのために毎月積み立てをして
ディズニーランドへは夜行バスで行って
他の県には青春18キップで鈍行を乗り継いで行って
黒部ダムに行ったり
奮発してイタリアへも行ったり
それはほんとに楽しかった

息子は、「やさしくて本当にいい子」って言ってもらえる子に育ってるけど
子供がいい子で育つわけはなく、学校からも警察からも呼び出されたことがあります
終わりが無い気がして、よく泣いたわ、引きずりだしたり、たたいたりしたこともある
でも、ある日、突然変わったの。いい子に。

生活がまともになってくると、心がまともになってきて
だんだん「サザエさん」を普通に見れるようになりました
サザエさんみたいないい漫画、それさえまともに見れなくなるぐらい
人の心ってすさむんだなと思います

さて、元夫は、わたしたちが去ったことがショックだったらしく
��0年にしてようやく悟り苦しみながら、立ち直りました
それ以来、もう15年になるけど、一滴もお酒を飲まず、過去を後悔して自分の人生を満喫してます

10年後、ハワイへ息子と戻りました
理由は、息子が高校生になるにあたって
アメリカ国籍しか持たない息子が英語を話せなくなってしまっていたからで
それに性格的に日本で暮らすよりアメリカで暮らしたほうがこの子は生きやすいだろうと感じていたからで
アメリカへかえして、アメリカで生きていってほしかったからなのだけど
それでかえってきました

家族一緒に再度住んでみたけど
やっぱりお互い、自分勝手になりすぎていて
きちんと別れましたが
元夫とは今も仲のいい友達です

フルタイムの仕事のほかにサイドビジネスをするなんてもうしんどすぎて
うんざりのわたしでしたが

過労から救ってほしくて飲み始めたカイアニのおかげで
思わぬ収入がもたらさられるようになって
助かってます

昔からカイアニがあったら
わたしはもっと息子と一緒にいてあげられたのになって
もう大きくなってわたしを必要としないようになってからカイアニに出会ったのが残念です

もちろん、カイアニだってビジネスとして
ちゃんとしなきゃ、お金は入らないです
でも、
ネットでハワイアングッズを販売していたときと違って
困っている人を助けていけるという点が好き
健康面でも、経済面でも、わたしみたいに困って疲れてどうしていいのかわからないような人に
両方の面でチャンスを提供できるところが
気持ち的にとても好き

好きな時間にできるところも助かります

一番欲しいのは自分で自由に使える時間です
息子が病気しても、仕事にいかなきゃいけないから
ぐずる息子を無理やり学校へ行かせていたころや
参観日に来て欲しいというのに、行けなかった日や

そういうのを思い出すと、もう済んだことだけど
自分で自分の時間を自由に使えたらいいのにと心から思う

そうずっと何年も思ってきているのに
相変わらずわたしはフルタイムで勤務している
ずっとずっと進歩のないままです

でもきっといつかカイアニで自由になれるのは周りを見てわかっている
まわりで、自分の時間を自由に使えるようになっていく人たちを見てわかっているから
カイアニをビジネスとして続けていくつもりです

今は月に1300ドルの家賃を払えて(ハワイでは安いほうです)、車にも乗り、
あの頃からは考えられない生活をしてるなと思う
豊かとは言えないけど、貧しくも無いもの

だから現状に満足しがちなんだけど
今は過労にならないけれど、人生本当、何があるかわからない
そう肝に銘じて、ちゃんとがんばろう

空気が秋らしくひんやりしてきたせいか
おセンチになっちゃった

ワタクシゴトにお付き合いいただいてどうもありがとうございました^^




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